オートマンの町の一角とオートマンホテルの看板

店の前を走り抜けるトライク。手回しのオイル補給タンク

オートマン峠

走行2日目はモーテルを7:00に出発。近くのレストランで朝食、地図でその日の打ち合わせを行いガソリン補給となる。そして本格的な走行開始となる。この日課がこれから毎日続くのだ。

ルート66は比較的平坦な道が多いが山道もある。その昔一攫千金を夢見た荒くれどもが集まり、栄えたオートマンの宿場町、そしてオートマン峠である。
インターステートが建設される際、寂れた金鉱の山を通す必要はなく平野部を迂回してというかまっすぐ作られた。
そのためか単独のルートとして距離も長く保存状態も良いことから、各地から古き良き時代の雰囲気を求めるライダーや、車の旅行者が集まって、結構賑やかとなっている。

朝早くについた私たちはまずはオートマンホテルへ。創業が1902年、日本では明治35年である。この頃からモーターリストホテル(駅馬車かも)として営業し続けているのだからすごいの一言。
ホテルでは古き良き時代の生活用品や、道具などが展示されている他、簡単な喫茶もできる。また66グッズも豊富に売られている。

訪れた日は、Tシャツがバーゲンで欲しいなと思うが、とにかくでかい!。私は身長が163pと小柄なため着れるような物はなかった。
では女性用はと思ったが、小さいが華やかでやはり女性用である。家内におみやげと思うのだが、好みのデザインもあり買って帰ると怒られる!確率が高いので買わなかった。
記念に一番大きいTシャツを買って壁に貼ってみては!とアドバイスをもらうが、背丈に関してコンプレックス人間の私にはできなーい。

オートマン峠は「馬に注意の道路標識」が出てくる。確かに入り口付近に手綱につながれていない馬やロバがたくさんいた。聞けば飼い主がいないとのこと。
すげぇー馬やロバの生息地なのかー!と思ったが、実は金鉱が寂れまたインターステートができ、荷馬車として必要がなくなっため、飼い主が放置したのだ。
それらが野生化しているとのこと。馬やロバ君たちは、気が向けばオートマンの道路に現れ、観光客に餌をねだる。またねだらないと生き抜けないのだろう。オートマンの各店では66グッズの脇に、人参等が売られている。
馬やロバにとって放逐されたことが、良いのか悪いのか分からないが、人間のご都合主義の犠牲になった何か悲しい、ルート66物語の一コマである。

クールスプリングス

オートマンで充分見学、休憩した後オートマン峠のクールスプリングスのカフェへ向かう。
峠はルート66として保存状態が良いと言っても、赤茶けた山々を切り開いて作られており、路面には亀裂を補修したおびただしい跡があり、またガードレールも無い。
道路に浮いた砂とステップボードをこすらないよう注意を払いながら、左右の連続したコーナーを走らせる。
私が乗ったヘリテイジソフティルは車高が低く、低重心のためコーナーを軽快に走ってくれる。
初めてハーレーダビッドソンに乗る人は、コーナーリングの特性がつかめず苦労しているようであった。ハーレーダビッドソン初心者には、修行コースのオートマン峠である。

オートマン峠の中腹に66グッズも売っているカフェがある。まぁ峠の茶屋といえる趣である。このカフェは映画の撮影のため一度焼かれたことがあるそうで、オーナーは最近再建してオープンしている。
まだ完全ではないらしく、トイレは駐車場の脇に数枚の板で囲って作られている。オーナー自身が店の前で内装工事(と思われる)をやっているところだった。トイレを作っているのかな。
冷えた缶コーラを飲みながらバイクを止めてある店の前に立てば、ハーレーダビッドソンに乗ったバイカーが盛んに手をあげ挨拶してゆく。

1900年代前半の自動車は性能も良くなかったので、峠を越える際、ラジエターの水を補給したりガソリンを補給する場所が必要だったかもしれない。
ここはキングマンから走ってきた自動車が、ボンネットを開けて休んだのであろう。
だからクールスプリングと名前がついたと、勝手に解釈するが、当たらずとも遠からずだろう。

フリー走行でハックベリーの雑貨屋

オートマン峠を下りキングマンの町を抜けた頃、今日のフリー走行の提案がなされた。落ち合う場所はその昔大陸横断バスの停車場でもあったルート66沿いにあるハックベリーの雑貨屋。
「距離はおよそ24マイルで、ハックベリーの案内標識は小さいですから見落とさないで」とのこと。
私は地図を見てもあまり分からないので、トリップメーターを0にして24マイル走った頃、あたりを見渡せばハックベリーの雑貨屋に着くはずと考えスタートした。
サポートカーは一番最後からゆっくりと走ってくるので、抜かれなければいい。
ゆっくり目の50マイルの速度で24マイルほど走ると、古いオープンカーやがらくた?が置いてあるレトロ調の店を見つけることができた。

広い駐車場にハーレーダビッドソンを止め、サポートカーを待つ。次々にツアーメンバーが到着し、全員そろったところで店に入る。
店にはルート66グッズが所狭しと並べられており、グッズや飲み物を買い求める家族連れも多く、結構混み合っていた。
この店の男性用トイレは特別であり、写真に撮っておくといいとか。女性用はどうなっているのだろうと、メンバー間で話題になったが未確認。

ハックベリーのショップで充分休憩し、ルート66全盛期の面影を残す町セリグマンまでまたフリー走行をする。今度は35マイルほど、またトリップメーターを0にして出発。
広い荒野を、ましてルート66をかっ飛ばしてもしょうがないのでトコトコと走る。今日は気温も上がらず50〜60マイルくらいで走ると気持ちが良い。

当時の面影を残すセリグマンの町

セリグマンにはルート66保存協会の会長さんがいる。有名な床屋のエンジェルおじさんだ。
トリップメーターを頼りに、どうにかその床屋さんを見つけることができ全員集合。
ツアーガイドの木村氏より、フリー走行に続くフリータイム!の提案。今から一時間ほどの間に、ガソリンを補給し昼食を摂って町を自由に見て、集合はこの床屋の前とのこと。では解散!。

ひえ〜、早くも単独行動とは心細いよー。ガソリンは何とかなるが、レストランで食事は不安が大きい。でも何とかしなければ、ツアーメンバみんなでとりあえず床屋さんに入ってみる。
床屋さんといっても66グッズがたくさん並べてあり理髪用の椅子がある部屋は小さかった。
エンジェルおじさんは姿が見えなかったが、店員さんは私たちが日本人と分かると、日本から有名人がたくさん来ていると写真を見せてくれた。
確かに有名人はたくさん来ている。私は無名でバイクに乗り、酒を飲むしか取り柄がない日本人なのでちと悲しい。

床屋から出た私たちは、それぞれに分かれて土産物屋を見て回ったりレストランなどを探し始める。
何件か回ると、土産物店でも食事も出すところがあり片言の英語で、何とかセットを頼み昼食を食べることができた。
床屋の隣の店の自家製アイスクリームがおいしいと聞いたが、店が分からずどこかの店で、市販のソフトクリームを食べてしまった。まぁ次にくることがあったらちゃんと食べるぞ。

グランドキャニオンの入り口ウイリアムス

何だかんだとツアーメンバーは、それぞれにフリータイムをこなし、床屋の前に集まった。
ルート66グッズが日々増えてゆくバッグが積まれたサポートカーを先頭に、今日の宿のウイリアムスに向かうのであった。

ウイリアムスは、ルート66沿いの町で製材業と鉄道で栄えたところであり、グランドキャニオンのエントランスシティーでもある。
モーテル着は16:00。ツアーの同室の人と申し合わせ、近くのスーパーでハムサンドなどを買って、モーテルの入り口で椅子を用意し食べた。
こってりステーキ類は今日はお休み。休肝日ならぬ休肉日?。木村氏が希望者はアメリカンバーへ連れて行く、といっていたが私は行かなかった。
まだ日々かっ飛ばすバイク生活に適応していないためだ。本日は202マイル(325q)しか走っていないけどお疲れモード。お休みなさい。


Day1 TOP Day3

 

暑くなり始めた荒野を走っていると正面にオートマン峠が見えてきた。

左がホテルのオーナー、20年間同じ場所に座って食費がかからないとか。右のおねーさんはとても陽気な人

オートマンは癒し系でくつろげる。右は馬の手綱止めで休む人間

クールスプリングスの峠の茶屋。感じのいい店だった

↑魔除け                ←トイレの中!訪ねて確認して 

セリグマンの町の床屋、66グッズ豊富もちろん散髪可

モーテル駐車場、ステアリングロック、ワイヤーロックをする

オートマン峠は眺望もすばらしくラスベガスなどが見えた。走行中は見ない方が良い。ガードレールがないのだ

キングマンのウオータータンクを後にフリー走行

ルート66をウイリアムスへ。途中オフロードランもありました

ウイリアムスにはグランドキャニオン鉄道がある

本日の夕食2人分である。質素だがこれで十分だった

ハックベリーの店の前、50年前にタイムスリップ