■■ 2002年12月30日 ■■
ハーレーをピックアップ
モーテルの朝食はご飯や鮭の切り身など元気の出る日本食!。主人は日系人らしい。
ツーリングのスタートはレンタルショップから。すぐ走れる体制でサポートカーとタクシーに分乗してレンタルショップへ向かう。ショップでは私たちが使用するバイク7台が整然と並べられており、外観のチェックをしサインでレンタル開始となる。このとき損傷や傷があれば申し出る。でないと後で大変なことになる。よ!。
ツアー参加者でハーレーの経験者は2名、他の人は初乗り。練習する時間ありと言っていたがショップの駐車場を5〜6回往復のみ、ブレーキの効き具合を確認することしかできないようだったが。
私は10年ぶりに乗ることになるが、クラッチが重い。いまだに巨大クラッチプレートをワイヤーで動作させている。他の人が「ハーレーのクラッチはどうして重い、どうにかならないか」と聞いてくるが、「油圧クラッチにしてくれ」とハーレーの社長に投書するのが一番と答える。今日のツーリングには間に合わないがまあ10年もあれば変わるだろう。
ガソリン給油
出発してすぐガソリンスタンドに入る。早速給油の仕方について説明を受ける。日本でもセルフ給油が増えて同じようであるがクレジットカードで決済するための挿入口がある。私はVISAカードである。が使えない!何度やっても給油できずエラーが出る。カード不渡りは出したことが無いのに。他の人も使えない人がいてどうやら銀行やアメリカ支店の有無で使えなかったりするらしい。
私の乗るロードキングはガソリンが入っていたので初回は給油はしなかった。この後ガソリンスタンドではいつもニコニコ現金払いするが、一日2回の給油はレジに並んだり、コインの計算が難しくとても億劫であった。
フリーウエイをニードルスに向け
ロサンゼルスからフリーウエイを使い、今日の宿泊地ニードルスヘ。空港、レンタルショップの行き帰りサポートカーとタクシーでフリーウエイを走ったが、車は70マイル前後で走っており怖いと感じた。
この怖いと感じたフリーウエイを少しの練習とガソリン給油後すぐに走行するのだ。
分岐や合流が複雑にあり、行き先は当たり前だが英語で表示されている。70マイルで走行する先頭バイクはアメリカに来て10数年になる宮田氏である。ついて行けば良いのだが見失いそうになる。
迷いたくないし迷ったらかなり大変になる。地図で打ち合わせしたが右も左も更に言葉も分からないのである。
迷子になった場合はそのまま宿へ着くよう打ち合わせしてある・・・それも楽しいかもしれないが・・・。
片側6車線のフリーウエイは走り出してみれば、車のマナーの良さやパワーあるハーレーにより、怖さや不安は解消されてゆく。
気温も極端に低くも無く快適である。さっそくデジカメで景色や他のバイクを撮影する。70マイル前後の速度で片手でカメラをパチパチ。今回はカシオの防水耐衝撃デジカメGV-20を購入して持ってきたが、シャッターのタイムラグがあることを日本に帰ってきてから知る。よって走っているバイクが写らないのにはまいった。ファインダーに見えてるものが写らないというのがデジカメとは知らなかった。
夜間は走行しない。が走った夜間
初日の走行予定は約250マイル400キロ前後である。一日の走行ではまあまあといったところか。フリーウエイを降りニードルスに向け進路をR95にとる。平坦な道であるが対面通行となる。
この道路の路側には車両が突っ込んでもショックを吸収、人や車がダメージを受けないよう砂を敷き詰めてある。その路側にはおびただしいタイヤの轍があちこちにあった。
西部といえば荒野にサボテンだが、延々と走るが見つけることはできなかった。アロエのような植物はたくさんあったが見落としたのかもしれない。宿題にしておこう・・・次に来たらぜったい見つけること。
ニードルスまであと50マイル、夕暮れ間近の小さなガソリンスタンドでバイクの最後尾を走るサポートカーと待ち合わせする。しばらくの間待つが来ない。最後のバイクの人は、サポートカーが路側帯に停車したところタイヤがはまったらしいとも言っている。
何かあったなと、日も落ち暗くなりかける頃宮田氏が引き返し様子を見に行き、10数マイル走ったがいなかったとのことで帰ってくる。
そのうちに宮田氏の携帯にメールが入る。「タイヤ落ち走行できず救援求む」みんなで現場まで引き返し、サポートカーを8人で引き上げれば上がるだろうと衆議一決。夕闇迫る午後6時頃である。
かっこいい!サポートカーをサポートしに行く。こんなことはめったにない。決定的瞬間をしっかり撮らなければと、カメラを準備をして暗くなった道を戻って行く。がいない。見落としがあるかもしれないので50マイル程戻り、フリーウエイの近くまで戻ったがやはりいない。
宮田氏は見落としか自力で脱出したと判断するので再度ニードルスヘ向け走るろう!とのことで暗くなったR95を走るのであった。
夜間に走って分かったことだが、砂漠の夜は星がめちゃくちゃきれいであった。地平線から天頂まで360度満天の星は、まさに宝石をちりばめたようである。見ておいて損はない!プラネタリュームの本物があるのだから。
ツアーでは夜間走行はしないとあるがなるほど危ないと思う。バイクと四輪のライト照射量によって、速度が違うのである。
明るい車は速くバイクのほうが遅くなる。そこへ四輪が追越をかけバイクの列に割り込んでしまう。それが大型トラックであったり、更にそれを追い越そうとする車とで混乱気味となる。
バイク乗りはツアーでの夜間は走らず、ビールでも飲んでいるほうが長生きできるというものだ。
夜間の先頭を走るガイドの宮田氏、直線ではかなりのスピードを出すがカーブへくると必ずといっていいほど速度を落とし通過する。高速で抜けられないことはない。
しかし私たち素人さんは、ツーリング初日であり、身体が直線に馴れてしまっているとカーブでは身体が動かないことがある。なんでもないカーブで転倒をしないための配慮であろう。日本のライダーには苦労していると見た。(合掌!)
それにしても寒い。夜間は氷点下に近い温度になっているから歯を食いしばりこらえて走る。とても居眠りができるような状態ではない。淡々と走り待ち合わせ予定のスタンドに戻り給油しようとしたが閉まっている。
ニードルスまであと50マイル、ガソリンはとても持たないし、その間ガソリンスタンドは無い。サポートカーでガソリンを買い求めることもできない。万事休す!
サポートカーはといえば親切な人とレッカー車で引き上げ無事に宿に着いているとのメール有り。私たちとはすれ違っていたのである。
リスクマネジメントでは百戦錬磨の宮田氏によるこの窮地における模範解答!。ガソリンスタンド隣接のレストランより電話番号を聞き、帰宅したスタンド店主を呼んで店を開けてもらうことにしたのだ。待つこと20分、店主到着で店を開けてもらい給油完了。嫌な顔一つしないで給油してくれる店主は偉い。田舎のスタンドの宿命というか責務をよく理解していた宮田氏の勝ち!。
気を取り直し一段と寒さの厳しくなってゆく道をニードルスに向けて走りだす。モーテルに着いたのは午後9時であった。
遅い夕食を近くの閉店間際のレストランで食べる。メニューを全員に配るから、あれこれ注文するとサンドイッチしかできないという。だったら「メニューを配るなー」と言えなかった。思っただけ。
身体は冷えようが疲れようがビールを注文することだけは忘れない・・・バドワイザー!。この英語は発音が悪くても必ず通じるから不思議だ。
初日として320マイル500キロ以上走り、貴重な夜間走行も経験し面白かった。物が豊かなアメリカだが、予備ガソリンと非常食は持っていたほうがよさそうである。
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