今 月 の 主 な 記 事

                         ツーリングレポート ---- 鈴木

                         古き良き時代 -------- 川崎

                         秋の特別イベント ----- 橋本









☆やっとみんなと会えた背あぶり山体験レポート☆


 5月19日 第3日曜日 朝9時頃に出発して、一路せあぶり山へ向かった。五泉の農道で橋本氏の美声を無線でキャッチし、馬下橋のたもとで吉川さんと合流して、少し走って阿賀の里近くで坂本さんとも合流した。ここで私は『現地集合現地解散なのだからソロで走るのも悪くない』今思うとそれが間違いのはじまりでした。
 阿賀の里で3人と分かれた私はR49を走り続けました。すると県境付近は曇っています。これもその日の私の運命を示していたのかもしれません。そうして、ずーとR49を走って東山温泉付近にやっとのことで着きました。そこで道を聞いて4つ目の信号を右折と教えてもらいそのとおりに走りました。その次からが問題です。ツーリングに参加されたみなさんには見えたそうですが、その日の私には見えませんでした。そのまままっすぐ走りました。20分以上走ったところで不安になり道を聞こうにも人など誰もいません。
やっと人に会えたと思ったら70才ぐらいのバーちゃんでした。「あちぁー」と思いましたが溺れる者わらをもつかむという思いで聞いて見ました。
私、「背あぶり山はこの道でいいですか?」バーさん「んだ!んだ!」私、「じゃー今、バイク走っていきましたか?」バーさん「んだ!んだ!」不安ながらもそれから15分程走って、人家があるところに出ました。
もう少しかなと思った瞬間アスファルトの道が切れて、獣道の少し広い砂利道になっているではあーりませんか。不安はもう爆発しそうです。
 俺はこのまま新津に帰れないのかと思いつつ人に道を尋ねました。今度は若おくさんです。
私、「背あぶり山はこの道でいいんですよねー!」「あんた、一つ山間違ってるよー!」
「・・・・言葉も出ない」そして私はあのバーさんの顔が浮かんできた。時間はすでに12時を過ぎています。もうマッハ3.2のスピードで山を下り谷を越え、バーさんのいたところに来ましたがもういません。空はだんだん暗くなり今にも降りそうです。私にも今度は背あぶり山という標識が見えます。ホッとしたのもつかの間雨が降ってきました。
「あのバーさんが間違いを教えてくれたら・・・」山頂付近にくるとバイクが数台見えた。俺もやっとの思いで倒着することができました。生きて帰ってこのレポートをみなさんに読んでもらえて幸せです。帰路は無事に帰れました。

不死鳥のようによみがえった〜鈴木 





むかし、昔あるところにお爺さんとお婆さんがおったと。お爺さんは山へ芝刈りに…失礼!こんな古い話しをして誰が喜ぶか。それではやり直し。今から一昔前、南蛮渡来の追兎倍を手に入れた爺さんは、夜昼となくあっちへ行き、
こっちへ行き飛び回っておったと。別に羽根があるわけじゃないが飛んでおったとさ。するとこれも南蛮渡来の物じゃが、追兎倍がたくさん映っている自動幻燈屋がござったとか。その足の
長い巨大な追兎倍を見た爺さんはえらく驚嘆したとな・・・そいでもって自動幻燈屋に写っていた追兎倍をやがて乗ったとさ。
人生は異なもの味なもの!おしまい!!!。 
はい!高度経済成長時代、日本列島改造、公害列島とか何とかという時代、巷ではホンダCB750(今でいうK0)がジェットアクセレーションとかいう歌い文句で華々した走り回っていました。その他、音速の3
倍の速さで走る超音速バイクも走り回り!?、それはもう賑やかでした。バイクで飛び回るというのも、まんざら嘘ではない時代のようでした。
当時、私は金欠病という病にかかり大変苦労している時です。
重量車、大排気量車は夢とか想像でしか乗ることができなかったのです。重量車、!懐かしい響きですね、今でも通じるか分かりませんが当時は250cc以上のバイクをそう呼び
ました。今はナナハンでも小さいのかな。それでも私はスズキのウルフ125という狼バイクに乗ることができ、あっちこっち走り回っていました。狼バイクですから飛べません、ひたすら走るしかありませんでしたね。
 ある日、私と狼バイクは新潟の映画館の前に止まり、しばしの休憩となりました。二輪界にセンセレーションを起こしたアメリカ映画、イージーライダーを見たのです。前編に出てくるハーレーのアップシーンは
大迫力!。
今は病める国アメリカの断面を描いた映画だったと理解できますが、このころはストーリーも良く理解できないままバイクさえ映っていればご機嫌なものでした。
 そんなバイク乗りがレース競技で公道を走るのを止め、紆余曲折の末10年後にイージーライダーに極めて近いH・D社のローライダーに乗るのです。映画のイメージが強いわけでもなかったし、当時は国産
ナナハンがベストと思っていた時期でもあったのですが、カッ飛び時代も過ごし結果としてハーレー乗ったことになります。映画を見ていたころは自分がハーレーに乗るなんて、心のすみにもありませんでした。
10年もたったある日、生活の質を変えてですがイージーライダーになっているのです。
ライト兄弟が飛行機を作った当時40年後にジェット機が音速を越える時代が来るなんて想像できなかっ
たと言われています。このように未来は大きな転機とか可能性を秘めているんですね。何をバカなことを自分勝手に言ってこじつけて、明日のことも分からないのに・・・そういわれそうです
が!?。私は、歳を取ったら時代の変遷をしみじみ噛みしめて過ごすとして、カブに始まりカブで終わるという名言(?)がありましたが、私ももうすぐ125ccのバイクに乗りヨタヨタと走るとしましょう。はい、10年後は分
からないよというのが言いたかったけどおしまいにします。またよろしくです。  川崎